赤間宿とは?

2019.02.12[Tue] 00:00

2月3日の放送番組から気になった一部の内容を紹介します。

ゲスト 赤間宿まちづくり リーダー 仲尾等 様

益田:今週は宗像市の赤間宿についてお話を伺いたいと思います。赤間宿に詳しい仲尾等さんにお越しいただいています。こんにちは。仲尾さん、自己紹介をお願いします。

仲尾:はい。私の家は赤間宿のちょうど真ん中にありまして、築150年という古い家に住んでおります。

益田:ということは江戸時代ということですか?

仲尾:そうですね。江戸時代後期には建てられていまして、乾物商をやっているようですね。

益田:代々続いていた商売を。今は別のお仕事につかれているんですね?

仲尾:そうですね。

益田:江戸時代からの街並みが残っているということですね。仲尾さんのお宅のお隣とかお向かいとかは結構有名な施設がありますよね。

仲尾:そうですね。観光情報の発信基地の赤馬館とかですね。映画で有名になった出光佐三さんですね。「海賊と呼ばれた男」、佐三さんにちなんだ資料室があります。

益田:お隣ですよね。赤間宿ということで、本来は宿場町ということで、唐津街道の筑前21宿のうちのひとつということなんですよね?栄えていたのはいつぐらいまでなんですか?

仲尾:これですね、たぶん今のJR、これが博多の方から伸びてきて明治23年に赤間駅ができたんですけれど、やっぱり駅ができると人の流れとか物の流れが変わりまして、だんだんと店が少なくなって。それで大型店舗ができて、商店街が少しずつ寂れていったのかなというところですね。

益田:あのあたりは、宿場町の時代から交通の要衝ですよね。

仲尾:そうですね、いろんな交通の要衝でもあったり、みなさまの物流の拠点というか、もう花嫁道具一式、赤間に来れば揃うぞということで、それぐらい栄えていたようですね。

益田:赤間っていう地名はそもそもどういうところから付いているんですか?

仲尾:元は赤い馬と書いていたんですね。それで「あかま」と読んでいたんですけども。古い話ですけれど、神武天皇というのがおられまして、大和の方に出向かれるときに、宗像市の八所宮というお宮がありまして、そこの神様が道案内をした。そのときに赤い馬に乗っておられたんですね。それで道案内をしたということで、それにちなんで赤馬(あかま)と。それから「赤間」に変わっていったということですね。

益田:宗像大社との関係っていうのは、赤間宿の方は何かあるんですか?

仲尾:そうですね。元々宗像大社っていうのは神郡という、神様の郡ですね。全国に8か所あるんですけど、広い地域を支配していまして、赤間、宗像ですね。福津、それから古賀とか新宮、鞍手の方まで含めて、広い神社の所領だったんですね。それで私たちももちろん氏子になって、信奉しているというか、そこらへんの方々はやっぱり宗像大社というと強い想いがありますね。

益田:結構幕末の重要なお話も残っているみたいですね。

仲尾:幕末というといろいろ揺れ動いたんですけれど、その揺れ動いた中ですね、尊攘派と言いますか、そういう公家さんたちがこれは危ないぞということで、京都から7人が大宰府の方に逃れて来たんですね。そのときに、そのうちの5人の方が赤間のお茶屋というところで滞在をされたんですね。

益田:いわゆる五卿ですね。

仲尾:ええ。5人のお公家様がですね、25日間滞在したということで。というのも黒田藩の方もですね、どうした扱いにしようかということでだいぶん悩んだみたいですね。

益田:最初から大宰府へお連れするということは決まっていたんですか?

仲尾:行きたかったようですけど、黒田藩で処遇がなかなか決まらなかったようです。どういうふうな扱いをしたらいいのかということで。結局はもういわゆる罪人というか、困った人というかたちで、お茶屋の方というか赤間の待遇も一般の旅人と同じような扱いにさせていただいたんです。

益田:今赤間宿の入口というか、大きな記念碑が立っていますね。

仲尾:元々はお茶屋の跡に立てたんですけど、今は学校跡地になっていまして、法然寺というお寺さんの横に。目立ちやすいところなんですけど、そこに立っていまして。その時はですね、いわゆるもう雲の上の人が来たということで、今で言う色紙ですね、サインをしてくれとねだったみたいなんですよ。コネを使ったりお金を使ったりしてですね。

益田:有名人の扱いですね。

仲尾:そうでしょう。雲の上の人で、とても会える人じゃないので。

益田:赤間宿はそのとき大騒ぎになったんでしょうね。

仲尾:ええ、てんやわんやだったということが記録に残っています。そういうときのいわゆる色紙みたいなものが、短冊ですけど、残っているところもあるみたいですね。

益田:昔からの旧家が残っているお宅、ずっと住んでいる方も結構いらっしゃるんですか?

仲尾:約半分ぐらいはまだ住んでいますね。

益田:ということはそういう資料とかがまだ宿場町に残っているということですね?

仲尾:ええ、結構残っていると思います。ただもう蔵の中とかですね、どこかに仕舞い込んでおられる方も多いですね。

益田:そうですね、代替わりすると何があるかわからなくなってしまうという。宿場町の時代の名残というのは街並みの中に残ったりするんですか?

仲尾:じっくり歩いてみると、いわゆるこう建物ですね、壁の厚さが厚くて。塗り籠め(ぬりごめ)と言いますけど、一尺ぐらいですか、30センチぐらい。うちのもそうですけど、そういう塗り籠めの家がほとんどですね。

益田:塗り籠めというと、わかりやすく言うと?

仲尾:土壁みたいなものですね。

益田:白壁ではなくて?土壁という。

仲尾:ええ、それにまた白壁をこう、漆喰を塗ったりですね。平入り(ひらいり)とか妻入り(つまいり)とかありまして、道に面した形も違うわけです。そしてあと屋根の形も様々ですね。

益田:屋根の形というのは、瓦が違うとかいう以前に?

仲尾:もう屋根の形そのものが切妻(きりづま)とか入母屋(いりもや)とかいろいろ言うんですけど、兜造り(かぶとつくり)とかですね。もういろんなのがあって、それがごちゃごちゃにこう混ざっているんですよ。だから一軒として同じ家がないんですよね。

益田:それはそれでちょっと面白いですね。

仲尾:だからそういうところに関心のある方は、一軒一軒見るというのも面白いかもしれません。

益田:赤間宿の楽しみ方のひとつですね。

DJ紹介

  • 益田啓一郎
  • masudakeiitiro
  • 博多で企画執筆業。古地図や古写真の研究を通じて地元福岡だけでなく九州各地の歴史文化に興味精通。趣味は演劇鑑賞&音楽ライブ、ブラタモリ案内人。

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  • Mariko Yamamoto
  • 誕生日:9月20日 乙女座
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